ヨシヤの宗教改革
- 日本語キリスト教会 デュッセルドルフ
- 9月28日
- 読了時間: 4分
主題:罪を悔い改めて、神のみことばに聞き従う。
暗唱聖句:「私はあなたのみことばを心に蓄えます」詩編119.11
私たちは普段、自分のしていることを正しいとか、良いことと思っています。しかし、神の律法や聖書のみことばに照らし合わせてみると実は間違っていたと気づくことがあるものです。そのような時には、どうしたらよいのでしょうか?今日は、王国が長い間神の律法に従っていなかったことに気づき、国を作り変えようとした王様のお話です。
1.主の宮の修理と律法の書の発見
先週の学びでみたヒゼキヤ王は、神に信頼する良い王様でした。しかし、その後に王となった息子のマナセや孫のアモンは神の前に正しい王ではありませんでした。亜門が謀反で殺されると、その息子のヨシヤがわずか八歳で王となりました。現代ですと小学校二年生くらいです。政治などの難しい判断はできないので、後見人のような存在がいたと思われます。ヨシヤは十六歳の時に神を求めはじめ、二十歳の時から偶像を取り除くことに力を注ぐようになりました。(第二歴代誌34.3)二十六歳になると、神の宮の修理に取り掛かります。その時、神は律法の書を発見させるという劇的な出来事を通して真剣に神を求めるヨシヤに答えて下さいました。聖書には、「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます」ヤコブ4.8とあります。この言葉通り、神を求めるヨシヤに神ご自身が近づいて下さったのです。律法の書を発見しその内容を知ったヨシヤは、長い間、国が神の教えに従ってこなかったことに気づいて衝撃を受けました。そして、涙を流して悔い改め、律法に書かれていることを実践すべく、即座に行動を開始しました。私たちはみことばを聞いてもその通りにできないことが多いものです。しかし、大切なのはみことばを聞いて、それを思いめぐらし、示されたことを実際に行うことなのです。ヨシヤのように、実践を伴ってみことばに応答するものとなりたいものです。
2.ヨシヤの宗教改革
ヨシヤが行った改革の中心は、偶像を取り除くことでした。ヨシヤはまず、行動の根拠となる「律法の書」を主の宮に持っていき、民の前で朗読しました。そして、神と契約を結び、皆で律法の書に従うことを誓いました。それから、偶像礼拝に関連するものは、像でも礼拝所でも祭司でも徹底的に取り除きました。その活動範囲は、ユダ国内にとどまりませんでした。ヨシヤが行ったことを読み進めていくと、神に対してヨシヤがどのような信仰と姿勢を持っていたのかが見えてきます。第一に真の神は、イスラエルの神おひとり様であるという明確で真剣な信仰がありました。第二に、全力で神に従おうとする姿勢です。偶像を破壊する点でも妥協がなかったヨシヤですが、過ぎ越しのいけにえを捧げる時も、全力で取り組んだことが読み取れます。綿密に準備し、律法に沿った儀式を執り行い、驚くほどの数の動物のいけにえとして捧げました。(第二歴代誌35.1~19)第三は、神のことばに従順であるということです。それは、神のみこころに従順であると言ってよいでしょう。ヨシヤは、神が御言葉を通して示されたことに素直に従う人でした。
第二列王記23章25~26節を読みましょう。
25.ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてモーセの全ての律法に従って主に立ち返った王は、彼の先にはいなかった。彼の後にも、彼のような者は一人も起らなかった。
26.それにもかかわらず、マナセが主の怒りを引き起こしたあの苛立たしい行いのために、主はユダに向けて燃やされた激しい怒りを静めようとはされなかった。
ヨシヤは神に従う素晴らしい王でしたが、それでも王国の行く末を変えることはできませんでした。ヨシヤは三十九歳で死に、その十年後に南王国ユダは新バビロニア帝国に滅ぼされました。
神のことばどおりに道を守るのは苦難な時もありますが、神のことばから迷いでないように、みことばを心に蓄えよう。主の御前に罪あるものとして歩むことがないように、心を尽くして主を求め、御言葉に聞き従えるように主に祈ろう。