主題 いのちのことばを語る教会
暗唱聖句 「このいのちのことばをすべて語りなさい」使徒の働き5章20節
目標 イエスを愛する愛と、イエスに従う喜びに溢れて、苦難も恐れず宣教した使徒たちにならう
導入
よみがえられたイエス様にお会いしたペテロたちは、イエス様のことを伝えたくて仕方がありません。「みなさん、聞いてください!イエス様を信じて救われてください」と毎日毎日語り続けました。そのために指導者たちに憎まれ捕まり、責められても、ペテロたちはもう逃げたりしませんでした。
1 使徒の働き
ペテロやヨハネを始めとするイエス様の弟子たちは、使徒と呼ばれる教会のリーダーになりました。使徒たちは神殿に集まり、毎日神様を礼拝していました。神様からいただいた力で、イエス様のように病気の人を癒すことができたので、苦しんでいた人たちが大勢集まってきました。使徒たちはいつもイエス様のことを一生懸命伝えたので、イエス様を信じたひとたちがどんな増えていきました。教会の仲間にならない人たちも、教会の人たちを尊敬するようになりました。
2 逮捕された弟子たち
その様子を以前ペテロとヨハネを牢屋に入れたユダヤ人の指導者たちはいまいましい気持ちで見つめていました。「イエス様の話をしてはいけないとあれほど言ったのに、彼らは全然言うことを聞かない。このままでイエスを信じるものがどんどん増えていく。」指導者たちは、ねたむ気持ちを抑えられなくなり、再び使徒たちを捕まえて牢屋に入れてしまいました。ところが夜になると神様のみつかいが現れて、牢屋の扉を開けて使徒たちは外に出しました。そして「このいのちのことばをすべて語りなさい」と弟子たちに言いました。
使徒たちはその言葉に従い、夜明けごろに神殿に入り、早速神様の言葉を人々に教え始めました。そんな事は知らない指導者たちは使徒たちを裁判にかけようとしていました。そんなところに彼らが牢屋から出て神殿で再び教えている知らせが届きました。「なんと言うことだ。彼らをもう一度捕まえてこい。」指導者たちはカンカンです。「イエスのことを教えてはならないと、あれほど命じたのに、エルサレム中に広まってしまったばかりか、私たちがイエスを殺したと言って悪者にするとは!」ペテロと使徒たちは恐れずにきっぱりと言いました。イエス様は神様によってよみがえりました。私たちは生き返ってイエス様にお会いしました。この方こそ私たちは罪から救う救い主で、私たちはその証人なのです。」
3 苦しみをも喜ぶ使徒たち
指導者たちは怒り狂い、こんな者たちは生かしておけないと考えました。ところがその時、人々から尊敬されているガマリエルと言う聖書の先生が使徒たちを外に出すように命じてから言いました。「みなさん。今までも自分が救い主だと言う偽物が何人も現れましたが、いつの間にか消えていきました。この人たちを放っておきなさい。本物でなければ自然に消えていくでしょう。しかし、もし本当に神から出たものならば、彼らを滅ぼすことはできないでしょう。むしろあなた方が神の敵になってしまいます。」指導者たちはこの先生に従うことにしました。使徒たちをむちで打ち、イエスの話をするなと命じ、解放しました。使徒たちはその後どうしたでしょう。ひどい目にあったことを悲しむより、イエス様のことを堂々と話せることを喜んだのです。毎日宮や家々で教え、イエスがキリストであることを述べ伝え続けた。イエス様が救い主であると伝えるのをやめるどころか、ますます大勢の人々に伝えてきました。
聖書箇所:使徒2章
主題:聖霊を受けた弟子たちの伝導によって教会が誕生した。
暗唱聖句:「彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き祈りをしていた」(使徒2.42)
目標:神が教会をどのようにお始めになったのかを知り、自分もそこに加えられることを望む。
導入:私たちの住む街には、幾つ教会があるでしょうか?デュッセルドルフには日本語教会は1つしかありませんが、ドイツ語、英語教会等など、色々ありますね。世界中にたくさんの教会がありますが、多くの教会が一斉にできたわけではなく、一番初めはイエス様がよみがえって天に昇られたすぐ後に、不思議な方法で一つの教会が誕生したのです。
1.五旬節
今日はペンテコステ(花の日)と呼ばれる日です。ドイツ語では、「Pfingsten」です。その名の本来の意味は、「五旬節」で、旧約では「過ぎ越しの祭り(種なしパンの祭り)」から五十日目の祭りを指します。「七週の祭り」とも言われ、旧約の時代では、初夏の収穫祭の時期でもありました。(申命記:16章10、16等)。さらに、この日は十字架につけられた主イエスが三日目に復活なさった日曜日から計算して五十日目にあたり、キリスト教会が誕生する特別な出来事が起きました。使徒1章では、復活なさった主イエスが四十日間弟子たちと共に過ごしてから天にお帰りになったことが記されています。その時、主イエスは「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」1章8節 と約束してくださいました。弟子たちは祈りながら、その日を待っていました。
2.聖霊の降臨
その約束が実現した日が2章に記されています。弟子たちが集まって祈っていると、主イエスが約束なさったとおりに、聖霊が「炎のような舌が分かれて現れ」るかたちで、弟子たち一人一人に臨み、皆は種々の言語で話し始めました。聖霊は父なる神、子なる神(主イエス)と同じ、三位一体なるおひとりの神であられます。ですから、この時に初めて登場したのではなく、永遠に存在しておられ、旧約聖書の中にも聖霊なる神のお働きは多く記述されています。主イエスの地上のご生涯の中でも、聖霊は常に働いておられました。ただ、その聖霊が天に戻られた主イエスに代ってキリスト教会の導き手として臨み、主イエスの証人としてキリスト教会を誕生させてくださったのです。その日の出来事の意味から、ペンテコステを「聖霊降臨日」とも呼びます。
聖霊が臨まれたことで変えられた弟子たちの姿に、そこに居合わせた人々は驚き、怪しみました。中には「酒に酔ったのか」と思う人たちもいました。そういう人々に向かって弟子たちを代表して、ペテロが力強く確信をもって語り始めます。キリスト教会の長い歴史の中で、初めての説教をペテロが語りました。その姿は、主イエスが逮捕された時に逃げ出した弱いペテロではありませんでした。
3.教会の誕生
ペテロが語ったメッセージは、五十日ほど前に十字架につけられて死んだイエスは犯罪人ではなく、旧約で予告されていた救い主であり、死後三日目に復活なさり、私たちはその証人である、という内容でした。その死は私たちの罪を背負ったのであり、言い換えれば皆が主イエスを十字架につけて殺したのだと伝え、悔い改めてイエスを救い主、また、従うべき主として信じるようにと決断を促しました。これを聞いた人々の多くは心を刺され、自分の罪を悔い改めて主イエスを救い主として信じバプテスマを受けて、弟子たちの群れに加わりました。こうして、キリスト教会が誕生しました。彼らは、弟子たちの教えを守り、交わりを持ち、聖餐式のパンを裂き、祈りをしました。その後、今に至るまで教会は二千年以上の歴史を重ねてきたのです。
聖書箇所:黙示録21章1節~22章7節
暗唱聖句:「神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神としてともに おられる」黙示録21章3節
イエス様の12人の弟子の中にヨハネという人がいました。 とっても若い時にイエス様の弟子になったヨハネは、12人の弟子の中で一番最後ま で生きていたそうです。 さて今日のお話は、このヨハネが年をとった頃のお話です。 ヨハネはクリスチャンたちが堂々と神様を礼拝することができない時代に生きてい ました。 「神様はこの私だ。だから私を拝みなさい」と言うローマ皇帝ドミティアヌスがあ らわれたからです。 それでもヨハネたちクリスチャンは、今にこんな苦しい時代が終わって、神様が支 配される平和な新しい世界になると信じて、イエス様のお話を周りの人たちに伝え ることを止めませんでした。 そして「ローマ皇帝は人間であって、神様ではありません」と言って、ドミティア ヌスを拝まなかったので、大勢のクリスチャンたちはローマ帝国の決めた事に従わ ない者として牢屋に入れられて処刑されました。
ヨハネもローマ帝国に従わない者として捕まえられてエーゲ海にある島、パトモス 島の牢屋に入れられてしまいました。 このパトモス島の牢屋の中で神様はヨハネに天国がどんなところなのか見せてくだ さいました。 ヨハネが見た天国は神様のすばらしさが光り輝いていて辺りを照らしていて、夜が ありませんでした。 悲しいことも苦しいこともなくて、クリスチャンたちはいつも神様と一緒いて神様 に守られて安心して暮らしていました。 ヨハネが見ていると、宝石のようにキラキラ光る水の川が見えました。 そしてその川の両岸には「いのちの木」と呼ばれる木があって、その木の木陰には たくさんのクリスチャンたちが集まっていて、神様を賛美しながら、おいしそうな 木の実を食べていました。
こんなすばらしい世界があるわけない、これは夢を見ているだけだと、ヨハネと思 いました。 でも神様の御使いはヨハネに言いました。 「ヨハネ、今あなたが見ている風景、これは夢ではありません。これは本当に実現 する真実なのです。クリスチャンたちに神様はこんなにすばらしい天国を用意して くださっているのです。この事を信じる人は幸せな人です。」 イエス様は最初、救い主として人間の世界にお生まれになりました。 イエス様は今は天にいてみんなが神様を信じるようにと私たちのために祈ってくだ さっています。 みんなが自分の罪に気が付いて、自分の罪のためにイエス様が死んでくださったこ と、自分の罪が赦されたこと、大きな愛に気が付いて、自分を罪の中から救い出し てくださったことを実感して、みんなが神様を信じるように、とイエス様は私たち のために祈ってくださっています。 やがて、イエス様はもう一度この世においでになります。 イエス様がもう一度この世においでになられる時、その時、悪魔が活躍する悪い世 界はなくなって、イエス様が治めてくださる新しい世界、苦しい事や悲しい事が何 一つない世界が始まります