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聖書箇所:ルカの福音書2章21節~38節

暗唱聖句:「わがたましいよ 主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな」 詩篇103篇2節


今日のお話は赤ちゃんのイエス様に会ったおじいさんとおばあさんのお話です。

おじいさんの名前はシメオン、おばあさんのお名前はアンナと言います。


それは、イエス様が生まれてから40日経った頃のことでした。


その頃、ユダヤの法律では、夫婦に初めて男の子が生まれた時には、神様に感謝のささげものをするためにエルサレム神殿に行くという決まりがありました。

子羊を感謝のささげものとする決まりでしたが、子羊を買うお金がない人は感謝のささげものとしてハトをささげてもよいという事だったので、マリアとヨセフは、この決まり事に従って、赤ちゃんのイエス様を抱っこして、ささげもののハトを持って、エルサレム神殿にやってきました。


「あなたは生きているうちに必ず救い主に会うことができる」という神様からの特別な約束を固く信じて、救い主に会えるのを今か、今かと、ずっと待ち望んでいたシメオン爺さんが、聖霊に導かれてエルサレム神殿にやって来たちょうどその時、マリアとヨセフも赤ちゃんのイエス様を抱っこしてエルサレム神殿にやって来たのでした。


シメオンには、この赤ちゃんこそ、待ちに待った救い主だということがすぐに分かり、マリアとヨセフに近寄って言いました。

「もしもし、そこのお若いご夫婦のお方、私にもあなた方の赤ちゃんを抱かせてくださいませんか」

「良いですよ、どうぞ、どうぞ。でもまだ首が座ってないからそぅっと気を付けて抱っこしてくださいね」

赤ちゃんのイエス様を抱っこしたシメオンは大喜びで、神様に感謝して言いました。

「神様、私はこれで安心して天国に行くことができます。神様が約束どおり、救い主に会わせてくださったからです。この赤ちゃんは、世界のすべての人を照らしてくださる光です。」


それからシメオンはマリアに言いました。

「いいですか、お若い方、これから私が言う事、心を強く持って、しっかりと聞いてください。あなたの赤ちゃんは救い主です。でもやがて、この子は多くの人の反対を受けます。

あなたは胸をさされるような、つらい思いをするでしょう。でもそれは、人々の心に光が照らされて、多くの人々が救われるためです。」


そんなマリアとヨセフとシメオン爺さんの会話をちょっと離れたところからそっと見ていたおばあさんがいました。

84歳のアンナばあさんです。


アンナばあさんは一度結婚したのですが、旦那さんが死んでしまってからはずっとエルサレム神殿にいて、毎日お祈りをして、救い主の誕生を待ち望んでいました。


アンナばあさんもマリアとヨセフとシメオン爺さんのところにやって来て言いました。

「ついに救い主がお生まれになったのですね。救い主にお会いできるなんて、なんて私は幸せなのでしょう。救い主に会わせてくださって、神様、本当にありがとう。」


シメオン爺さんもアンナばあさんもずっとずっと長い間、待ち望んでいた救い主にお会いすることができて本当にうれしかったから、「私たちがずっと待っていた救い主がついにお生まれになりましたよ」と、周りの人たちに伝えていきました。

聖書箇所:ルカ2章1~7節、ピりピ2章6~11節

主題:人となられた神の御子

暗唱聖句:「キリスト イエスは罪人を救うために世に来られた」第一テモテ1章15節


導入:みなさんは、自分の大切なものを誰かにあげたり、使ったりしたことがありますか?バイト代でプレゼントを贈ったり、長く伸ばした髪を寄付したりする。その人が喜ぶ姿を自分のことのように思える時、嬉しいですよね。主イエスは、全ての時代に生きる全ての人が救われて幸せになるために、ご自分の素晴らしい特権をお捨てになりました。

一つ小話があります。あるキャンプ場の古いトイレから細く弱々しい声が聞こえた。怪奇現象ではなく、汲み取り式のトイレに転落した子猫の鳴き声でした。ある方が、糞尿まみれになるのを覚悟で子猫のところまで下りていき、無事救出したそうです。イエスが罪と汚れに満ちた世界で死につつあった私たちを救われたのは、子猫の救出以上の驚くべき御業であった。神の御子が、人の性質を取られたということは、キリスト教会の歴史の中で、イエスの神性と人性の理解を巡る論争となりました。合理的、理性的に考えて、イエスは50%神で50%人であるという主張は教理的には異端であります。イエスは真の神であり、真の人間である。即ち100%神であり、100%人間なのです。イエスのようなお方は他にいない。だからこそ、神と人の唯一の仲保者であり、救い主なのです。

1.救い主の誕生

救い主を身ごもったマリアはローマ皇帝の命令で、夫のヨセフの先祖の土地ベツレヘムへヨセフと共に住民登録に行くことになりました。マリアはベツレヘムで産気づき男の子を産みました。しかし、宿屋に宿泊する場所がなく、生まれた救い主は家畜の餌を入れる飼い葉おけに寝かされました。そんな貧しさの中に御子イエスはお生まれになりました。

2.人となられた神の御子

なぜ、神の御子イエスは地上に人としてお生まれになったのでしょうか?それは、ただ、私たちへの愛からです。ピりピ2章から見ていきましょう。6~7節には以下のように記されています。

6.キリストは、神の御姿であられる方なのに、神の在り方を捨てることができないとは考えないで、

7.ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。

そこには大きな犠牲が伴っています。人は神とは異なり有限の存在です。時間に縛られ、肉体には限界があり、疲れたり、眠くなったりします。また、最後に死を迎えます。さらに主イエスは、人間に世話をされなければ生きられない弱い赤ちゃんの姿で来てくださいました。神である方がご自身を空しくして仕えるものとなってくださるという、常識ではあり得ないことをして下さったのです。それだけではありません。8節を読みましょう。

8.キリストは人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。

イエスは神の呪いとされる十字架の死にまで従われました。それは、罪と罪がもたらす結果である永遠の滅びから私たちを救い出すという、神のご計画を完成するためです。人の罪は、罪のないお方しか背負えません。罪のない御子イエスが、私たちの罪を代わりに背負ってくださったのです。イエスは、そのために神の特権を捨てて、この世に人として生まれてくださいました。父なる神も、御子イエスも、それほどまでに私たちを愛し、私たちを罪と悲惨の中から救い出すことに熱心であられたのです。こうして、私たちは永遠の滅びに直面しなくて良くなりました。私たちは、イエスの十字架と復活の福音を信じるだけで救われる恵みを与えられています。

3.全てに勝る名

9~11節には以下のように書いてあります。

9.それゆえ、神はキリストを高く上げて、全ての名に勝る名をお与えになりました。

10.それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものすべてがひざをかがめ、

11.すべての口が「イエス キリストは主である」と告白して、父なる神が褒めたたえられるためです。

神は、御子の謙遜さと神への従順によって、イエスにすべての名に勝る名をお与えになりました。徹底的にへりくだり、救いの御業を成し遂げたイエスは、よみがえって天に上り、今、神の右の座ですべてを治めておられます。このイエスによって、全てのものがイエスを救い主として告白し、神に礼拝を捧げることができるようになりました。

この方こそ、私たちの主であると告白しましょう。神を礼拝することができる恵みを感謝し、喜んで礼拝を捧げましょう。私たちを救うための計画を成し遂げるために、人となってくださったイエスと、愛する御子イエスを送ってくださった父なる神に、このアドベントの時、心からの感謝をささげながらクリスマスを迎えましょう。


聖書箇所;ルカの福音書1章5-25節、57-80節

テーマ:約束を実現された神を褒めたたえる

暗唱聖句:「ほむべきかな、イスラエルの神、主。主はその御民を顧みて、贖いをなし、救いの角を私たちのために、しもべダビデの家に立てられた」ルカ1章68-69

導入

今日からアドベントが始まりました。日本語では待降節(たいこうせつ)といいます。「イエス様の生まれを待ち望む期間」という意味です。私たちもクリスマスが早く来ないかと楽しみに待っていますが、昔のユダヤ人たちは何百年もの間救い主が来られる日を待ち望んでいました。今日はその中のある夫婦の話をしましょう。

1 ザカリヤへのお告げ

イエス様がお生まれになるその少し前のことです。ユダヤ人の国の都エルサレムに近い山地の街にザカリヤとエリサベツと言う夫婦が暮らしていました。ザカリヤはエルサレムの神殿で神様にお仕えする祭司でした。2人とも神様を信じ、神様の守って正しい生活をしていました。そして、救い主をお送りくださると言う神様の約束を信じ待ち続けていました。2人は子供が与えられるようにずっと祈っていましたが、すっかり歳をとってしまい今は諦めていました。その年ザカリヤは神殿で特別な役目に選ばれました。大勢の人が神殿の庭に集まって、祈る中選ばれた祭司は皆を代表して、1人で神殿の中に入り、人々の罪を許してくださるよう特別なお祈りを捧げます。ザカリヤがちょうどその働きについていた時、突然主の使いがザカリヤの前に現れました。驚いて震え上がっているザカリヤに御使いは神様からの言葉をお伝えしました。エリサベツが男の子を産むこと、その子はもうすぐ来られる救い主に人々を導く大切な働きをすることを告げました。

ザカリヤは、とてもすぐには信じることができませんでした。「私も妻ももう歳をとっております。私はどのようにこの言葉を真実かどうかわかるでしょうか」

 しるしを求めたザカリヤに御使いは答えました。「私が話したことが実現するまで、あなたは口がきけなくなります。あなたが信じなかったからです。」神殿から人々の前に出てきたザカリヤは本当に話せなくなりました。

2 ヨハネの誕生

その後御使いが告げた通り、エリサベツは赤ちゃんを授かりました。元気な男の子が生まれて8日目赤ちゃんに名前をつける日のことです。親戚や近所の人々がお祝いのために集まっていました。当時、男の子にはお父さんと同じ名前をつける習慣がありました。そこで人々がこの子はザカリヤと言う名前ですね。と言うとエリサベツは「いいえ、この子はヨハネと名づけなければなりません」と答えました。御使いその名をヨハネとつけなさいと言ったのを、ザカリヤはちゃんとエリサベツに伝えていたのですね。人々は不思議に思っていると、ザカリヤが板の上に、その子の名はヨハネと書きました。その途端ザカリヤはまた話ができるようになったのです。ザカリヤは何よりもまず神様がお約束通りに導いてくださったことを心から喜び、神様を褒めたたえました。

3 ザカリヤの賛美

ザカリヤは聖霊に満たされて神様の素晴らしさを心から賛美しました。68から79節はその賛美の言葉です。ザカリヤの賛美と呼ばれています。ザカリヤは哀れみ深い神様が昔からのお約束を覚えていてくださり、すべての人を罪から救う救い主を与えくださること、そして自分の息子、ヨハネが人々をその救い主へと導く尊い働きをするようになることを預言し人々の希望の光、イエス様を示す力強い賛美を歌ったのです。

ポイント

今日は第一アドベントです。これからイエス様の降誕をお祝いします。1年近く話すことができなかったザカリヤが最初にした事は神様を賛美することでした。心から神様に溢れ出る気持ちを賛美に変えて、神様を褒めたたえたのです。


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