ザアカイ
- 日本語キリスト教会 デュッセルドルフ
- 1月25日
- 読了時間: 7分
聖書箇所:ルカの福音書 19章1節~10節
暗唱聖句;「人の子は失われた者を捜して救うために来たのです」ルカの福音書 19章10節
今日はザアカイさんがイエス様に出会うお話です。
ある日、ザアカイさんの住んでいるエリコの町に、イエス様がやってくるというニュースが伝わってきました。
重たい皮膚病の人たちを治したり、30年以上も歩けなかった人が立って歩けるようになったり、目の見えなかった人の目を見えるようにしたり、悪魔に取り付かれている人から悪魔を追い出したり、死んだラザロをよみがえらせたり、イエス様は病気の人や悩んでいる人たちを助けていましたから、そのうわさが伝わってイエス様はもうすっかり有名人になっていました。病気も治せてどんなことでもできるイエス様が来ると聞いて、エリコの町のみんなは家の外に出て、イエス様が町に入ってくるのを今か今かと大勢の人たちが待っていました。
大勢の人たちの中にザアカイさんもいました。ザアカイさんもみんなと一緒に町の通りの一番前に並んでイエス様を見たいのですが、みんなから嫌われていたので、みんなはザアカイさんのための場所を空けてはくれませんでした。ザアカイさんは背が低かったので一番前に来ないと見えないのにだれも場所を空けてくれないのです。取税人のかしらのザアカイさんは、町のみんなから税金だけではなくてたくさんのお金をとっていたので、ザアカイさんはお金持ちでしたがみんなから嫌われていたのです。
誰も自分のために場所を空けてくれないけれど、何とかしてひと目イエス様をどうしても見たいと思って、ザアカイさんがイチジクの木によじ登ったところ、歩いているイエス様を見ることができました。あの方が病気を治したり何でも願いをかなえてくれるイエス様という人なのだ、と、木の上からイエス様を見ていると、突然イエス様から名前を呼ばれてびっくりしてしまいました。
「ザアカイ。降りてきなさい。今日はあなたのうちに泊まることにしていますよ」
イエス様はどうして私の名前を知っておられるのだろう。ザアカイは町のみんなから嫌われていて、誰にも声をかけてもらえなかったので、イエス様から名前をよばれて本当にうれしかったと思います。
いそいで木から下りたザアカイはイエス様を自分のうちへお連れしてイエス様に召し上がってもらいたいとたくさんのごちそうの用意をしました。イエス様と共に食事をして、ザアカイはイエス様に言いました。
「主よ、ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また誰からでも、私が騙し取った物は4倍にして返します」
ザアカイは病気ではありませんでした。重たい皮膚病でもなく、歩けるし、目も見えるし、悪魔にも取り付かれてはいませんでした。健康な人でした。しかしザアカイの心の中は孤独でした。
そうです。イエス様が治してくださるのは病気だけではありません。イエス様はザアカイの心の状態を治してくださいました。
孤独な気持ち、欲張りな気持ち、自分だけがいい思いをすればそれでいいという自己中心の気持ちからザアカイを救い出してくださいました。イエス様と出会ったザアカイは、その後、イエス様が救ってくださった喜びを、周りの人たくさんの人たちに伝えていったと思います。
私にもイエス様は出会ってくださいました。
ここからは少し、私のイエス様との出会いをお話したいと思います。
イエス様のほうから私に会いに来てくれました。
イエス様が一番最初に私に語ってくださった言葉は「人を赦せない気持ちを抱えているのはとっても苦しいことだよ。人を赦せる心にきみの心を変えてあげよう」でした。
私は自分の親が大嫌いでした。子供の頃からずっと、こんな親にはなるものかと思って生きていました。そして大人になってからも自分のお母さんのような母親にはなりたくないと思っていました。私のお母さんはとってもヒステリーで機嫌が悪いとすぐにたたいたり、物を投げたり、泣きわめいたりしたから、私は子供の時とってもお母さんが怖かったからです。
お母さんは食事の時もいつも怒ったりいらいらしているので、私は子供の時、家族で楽しくご飯を食べた事がありません。
自分の母親とは正反対のやさしいお母さんになりたかった私ですが、私はまだ小さい自分の子供を平気でたたいてしまうのです。たたいているときは、自分のやっている事が分からなくなってしまうのでした。後になって、後悔して、もう絶対に叩いたりしない、と誓うのですが、次の日になるとまた叩いてしまうのです。
そんな時、松木さんが教会に誘ってくれました。
教会で聖書のお話を聞いているうちに、私の心の中には自分の親を赦せない気持ちがある事に気が付きました。赦せない気持ちを持ち続けているのはとっても苦しいんです。
人を赦すという事をイエス様は教えてくださいました。
だから私は自分の親を赦そうと決心しました。ヒステリーのお母さんの心に平安がありますように、と祈っていこうと決心しました。
母を赦す決心をしたら、次第に私は自分の子供を叩かなくなっていました。
私のお母さんが優しいお母さんだったら、イエス様に出会えていなかったかもしれません。イエス様に出会うために、人を赦す気持ちを私に教えてくださるためにイエス様は私にこのような母親をお与えになったのです。
イエス様は私に出会ってくださいました。
この喜びはお金で買えるものではありません。人からもらえるものでもありません。自分の努力で手に入るものでもありません。
海の中でおぼれかかって、あっぷ、あっぷして今にも海の中に沈んでしまいそうになっている私をイエス様が海の中から引き上げて、私の命を救ってくれたのです。私にとって、イエス様の救いとはそんなイメージです。
この救われたこの喜びを、昔の私みたいに赦せない気持ちを抱えている人たちに伝えていきたいです。
赦せない気持ちを抱えて生きている人、それは例えば6歳年下の私の妹、純子です。保育園にお迎えに行くといつも門の近くにある大きな木によじ登っていました。ザアカイさんみたいに大きな木によじ登って、私の妹は高いところから誰を探していたのだと思いますか?
みんな他の子たちはおうちの人がお迎えにきてくれて帰ってしまって、妹はいつも一番最後まで保育園に残っていました。木によじ登って、早くお迎えにきてくれないかな、と高い木の上から私や祖母、母の姿を探していたのです。
ある時、妹はこんな話を私にしてくれました。
「お姉ちゃん、中学生の時、私はいつもお腹をすかせていたの。学校から帰って来ると家には誰もいなくて、台所にコロッケが一つだけしかなくて。その一つのコロッケが私の夕飯だったの。友達の家に行ったとき、おかずがたくさんあって、本当にお腹いっぱい食べたの。いま、自分があのときのお母さんと同じくらいの年になって、自分の子供が中学生になって、お母さんに自分がされた事を思い出すと腹がたってしかたがないのよね。」
妹が中学生の時、私はもう親元を離れていたので、お腹をすかせて家にひとりぼっちの妹を私は知りませんでした。いまでもまだ母を赦せないという妹に、私は何とかして神様の愛を伝えていきたいです。
イエス様に出会うと、イエス様が自分に出会ってくださった事がとてもうれしくてみんなに自分の喜びを伝えたい気持ちになります。ただその時に自分の犯してきたたくさんの罪もみんなに話すことになるので、イエス様との出会いを話すのは勇気が必要です。私も今日はこんなみっともない自分の罪をみんなに話して、私、嫌われてしまうのではないかと不安な気持ちになりましたが、思い切って話す勇気を神様が与えてくださいました。感謝します。