サウロの回心
- 日本語キリスト教会 デュッセルドルフ
- 7月13日
- 読了時間: 4分
更新日:7月14日
暗唱聖句:「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、全てが新しくなりました。」第二コリント5章17節
目標:私たちを愛し、新しく作り変えて下さる神に信仰し、委ねる。
導入:今日登場するサウロは後にパウロと呼ばれ、異邦人宣教に用いられる人になります。もともと教会を激しく迫害していたサウロに、神は何をなさったのでしょうか?一緒にみていきましょう。
1.サウロの回心
サウロは、イエス様を信じる人たちの集まりである教会を荒らし、迫害していました。何故でしょう?サウロも熱心に神様を信じていたので、神様が遣わすと約束してくださっていた救い主を待ち望んでいました。けれど、十字架にかけられて死んでしまったイエスと言う人がその救い主だとは信じられなかったのです。それで、イエス様を信じる人たちを捕まえて、教会を無くしてしまうことが神様のためだと信じていたのでした。
サウロは、イエス様を信じる人たちをもっと大勢捕まえようと、ダマスコ(現在のシリアの首都のダマスカス)と言う大きな町へ行く道を進んでいました。すると突然、天からまぶしい光がさっとサウロを照らし、サウロは道の上で倒れてしまいました。
9章4~5節を読みましょう。
4.彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。何故、私を迫害するのか。」と言う声を聞いた。
5.彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」なんと!イエス様が天から直接サウロをお呼びになったのです。十字架にかかって死んだはずのイエス様が、自分に話しかけてきた。サウロはきっとものすごくびっくりしたでしょう。サウロは、何とか立ち上がりましたが、目が見えなくなっていて、一緒にいた人たちに手を引いてもらってダマスコの町に辿り着きました。三日間も目が見えず、食べたり飲んだりもせずにある人の家でずっとお祈りをして過ごしていました。
2.目からうろこ
ダマスコにはアナニアという名前のイエス様の弟子がいました。イエス様は今度はアナニアに「サウロのところへ行って目が見えるように祈ってあげなさい」と語りかけられました。アナ二アは、サウロが今までしてきたことを聞いて知っていましたから、驚いてイエス様に「でもイエス様、あの人はあなたを信じる人を捕まえるために来たのですよ」と言いました。15節を読みましょう。
15.しかし、主はこう言われた。「行きなさい。あの人は私の名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。」
イエス様はアナニアに、「サウロはわたしが救い主であることを外国人にも伝えるためにわたしが選んだ人なのです。」とお答えになりました。
そこで、アナニアはすぐにイエス様のおことばに従いました。17節にはこう書いてあります。
17.そこで、アナニアはすぐに出かけて行ってその家に入り、サウロの上に手を置いてこう言った。「兄弟サウロ。あなたが来る途中で、お現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」
すると、サウロの目をふさいでいたうろこのようなものが落ちて、また目が見えるようになりました。サウロはすぐにバプテスマを受け、食事をして元気になりました。サウロは三日間祈っている間に、これまで教会を荒らしたりしてきたことは罪で、イエス様はその罪を赦してくださる救い主だと信じるようになっていたのですね。
3.伝導を始めるサウロ
元気になったサウロは、ユダヤ人が神に礼拝を捧げる会堂に行き、「イエス様こそ神の子です」と、皆に伝えはじめました。それを聞いた人たちはとても驚いて、「今までイエスを信じる人たちを捕まえていたあのサウロが、今度はイエスこそ救い主だと伝え始めている」と言い合いました。サウロは、それまでとは正反対の、イエス様を信じて従う人にすっかり変えられました。イエス様は、サウロがご自分を信じ、人々に伝える人になるように、ご自分から声を掛けて下さったのです。イエス様は、私たちにも、そして、私たちがイエス様のことを伝えたい。まだ、イエス様を知らない人たちにも出会ってくださり、イエス様を信じる新しい人に作り変えて下さいます。
暗唱聖句の説明:
「だれでも、、」の出だしで始まりますが、その中には信者たちを迫害し、イエスを痛めつけたサウロ自身も含まれます。サウロ(パウロ)は、驚きと感動をもってイエスにあって新しく作り変えられた喜びを語ります。かつては教会を迫害し、霊的に盲目状態だったものが、聖霊によって全く新しく作り変えられた。イエスを信じる私たちも、聖霊によって新しくされる。だから、私たちは過去の惨めな自分を見るのではなく、生きる目的も使命も新しくしてくださったイエス様だけを仰いで生きよう。