聖書箇所: 第1サムエル記13章、15章
暗唱聖句:「子たちよ、今、わたしに聞き従え。幸いなことよ、わたしの道を守る者は」
箴言8章32節
今日のお話は、イスラエルの最初の王様、サウル王様が神様の御声に聞き従わないで、自分の考えや周りの人たちの意見に従って行動してしまったお話です。
サウル王様は最初はすごく控えめな人でしたが、いくつもの戦いに勝って、周りの人たちからちやほやされるようになると、いつの間にか神様の御声を聞くことを後回しにして、自分の力で何でもできるかのように思ってしまったのです。
ペリシテ人がイスラエルに攻めてきた時のことです。
ペリシテ人は戦車が3万、馬に乗った兵士が6千、歩きの兵士は数え切れないほどたくさんいました。
その一方、イスラエルはたったの3千人の兵士。
とても勝ち目がありません。
でも戦いの前にサムエルが来て、神様にささげものをして祈ってくれることになっていました。
神さまが共に戦ってくれるなら絶対に大丈夫。
兵士の数の多さなんて、全然問題じゃありません。
「私が行くまで待っていなさい」とサムエルに命じられていたので、サウルはじっと待っていました。
けれどサムエルは待てども待てどもやって来ません。
ペリシテ人を恐れて、怖いなぁー、僕は戦うのをやめて帰ろうかなぁーと言い出す兵士まで出てきました。
兵士の数が減ってしまっては大変!
待ちきれなくなってしまったサウルは、サムエルの代わりに自分で勝手に神さまにささげものをしてしまいました。
戦いの前に神さまにささげものをして祈ること、それは祭司だけに許されている特別な務めでした。
いくら王様でもやってはいけない事だったのです。
ちょうどそこに、サムエルがやって来ました。
「何という事をしたのですか」
あれこれ言い訳をするサウルにサムエルは言いました。
「神さまの命令を守らなかったあなたは、イスラエルの王様としてふさわしくありません」
その後、サウルはもう一つ大きな失敗をしました。
アマレク人との闘いの時のことです。
サムエルはサウルに神様の命令を伝えました。
「アマレクの町のすべてのものを滅ぼしてしまいなさい。いいですか、どんなに良いものでも持って帰らずにアマレクの町で焼いてしまいなさい」
サウルは大勢の兵士を呼び集め、あっという間にアマレクの町を攻め落としました。
戦いに勝ったサウルは、サムエルから聞いた神様の命令をすっかり忘れてしまって、丸々と太った羊や牛をたくさん連れて帰ってきて、こっそりと羊や牛を隠していました。
サウルが隠していても、神さまはすべての事をご存じです。
サウルがアマレクから羊や牛をたくさん連れて帰ってきて、こっそり隠していることも神さまはご存知でした。
神さまはサムエルに言いました。
「わたしはサウルをイスラエルの王にしたことを後悔している。サウルがわたしの命令を守らなかったからだ。」
サムエルがサウルに会いに行くと、サウルは嬉しそうに言いました。
「サムエルさん、私は神さまの命令を守って、アマレクのすべてのものを滅ぼしました。」
その時、モー、モー、メ―、メー、どこからか牛や羊の声が聞こえてきました。
「あの鳴き声は何ですか」サムエルが聞くと、
「あー、あれは、とってもりっぱな羊や牛なので、神さまに感謝のささげものをするために連れて帰ったのです。でもそのほかのものはもちろん、すべて滅ぼしました。」
と、サウルは言い訳をしました。
「あなたはなぜ神さまの命令に従わなかったのですか。神さまはどんなにりっぱなささげものよりもご自分の命令に従うことをお喜びになるのです。神さまの命令を守らなかったあなたは、イスラエルのイスラエルの王様としてふさわしくありません」
というサムエルの言葉を聞いて、「私は罪を犯しました。どうか私の罪を赦してください」とサウルは言いました。
けれどもサウルは心から反省して悔い改めることができませんでした。
聖書箇所:第一サムエル 8~10章
主題:神はご自分を恐れて、誠実に仕える者を求めておられる。
目標:自分はまことの王である神に仕えるしもべであることを知る。
導入:物事には光と影があります、人間も神によって造られた高貴な面の反面で、弱さやもろさも帯びています。完全に立派な人も完全な悪人も存在しません。私たち人間社会もまた、良い面と悪い面の両方があります。サウルから始まったイスラエルの王制の歴史もまたそうでした。
1.王を求める民
ヨシュアの死後から続いていた士師(さばきつかさ)の時代の最後に登場したのが先週見たサムエルでした。サムエルは士師、また預言者、祭司としてイスラエル全体の指導に当たりました。
師であったエリと同じく、サムエル本人は信仰深く生きましたが、後継者として士師となった息子たちは悪行をし、主の期待にも人々の期待にも応える人物ではありませんでした。人々は高齢を迎えたサムエルが亡くなったら自分たちの生く末がどうなるのかと心配し、周辺の国々のように「王」を立ててもらいたいと要求します。
いつの時代も、外国の文化に憧れてそれを取り入れたいという願望をもつものです。世界には今でも29の国に王様がいるそうです。イスラエルの人々にとっても、民をさば、先立って敵と戦う外国の「王」は、格好良い存在として映っていたのでしょう。しかしそれは、神ご自身が王として民を治めて下さる恵みを拒むことでした。サムエルは民の願いを聞いてがっかりしました。
「人々はなぜ神様に頼らず王様を欲しがるのだろうか?主よ、私たちはどうしたらよいのでしょう。」サムエルが神様に祈ると、神様はおっしゃいました。
「民が願う通り王様を立ててあげなさい。ただし、王様は国民から税金を取ったり、兵士として戦わせたり、自分の為に働かせる大きな権力をもつことをはっきり伝えなさい。」人々はそれでも、「どうしても自分たちの為に戦ってくれる王様が欲しい」と願いました。
2.サムエル、サウルと出会う
実際に最初の王が立てられる時がきました。神が選ばれたのは、ベニヤミン人のキシュの息子サウルという人物です。サムエルとサウルの出会いは不思議な形で実現しました。
いなくなった雌ろばを探しに出かけたサウルが、サムエルのもとに導かれてきたのです。サムエルは雌ろばのことは心配しないように語り、「全イスラエルの思い」がサウルとサウルの父の家に向けられていることを伝えます。王という存在を具体的にまだ知らないサウルに対して「実質上あなたが王になる」と告げました。
3.サウル最初の王となる
サウルに油を注いだサムエルは、主が「ゆずりの地(神がイスラエルに与えて下さった国土と民(イスラエル12部族)を治める君主とするため、あなたに油を注がれた」と伝え、さらに身辺で起きる出来事を3つ予告します。10章2~6節を読みましょう。
2.あなたがきょう私のもとを離れていくとき、ベニヤミンの領内のツェルツァフにあるラケルの墓のそばで、二人の人に会いましょう。その二人はあなたに、『あなたが探して歩いておられるあの雌ろばは見つかりました。ところで、あなたの父上は、雌ろばのことなどあきらめて息子の為にどうしたらよかろうと言って、あなた方のことを心配しておられます』と言うでしょう。
3.あなたがそこからなお進んで、ダボルの樫の木のところまでくると、そこでべテルの神のもとに上がって行く3人の人に会います。ひとりは子やぎ3頭を持ち、ひとりは丸形のパン三つを持ち、ひとりはぶどう酒の皮袋一つを持っています。
4.彼らは、あなたにパンを二つくれます。あなたは、彼らの手から受け取りなさい。
5.その後、ペリシテ人の守備隊のいる神のギブアに着きます。あなたがその町に入るとき、琴、タンバリン、笛、竪琴を鳴らすものを先頭に高き所から降りてくる預言者の一団に会います。彼らは預言をしていますが、
6.主の霊があなた方の上に激しく下ると、あなたも彼らと一緒に預言して、あなたは新しい人に変えられます。
これらは、神がサウルと共におられる保証となるのでした。サムエルは、サウルの頭に油を注ぎ、神様のおことばを伝えました。「神様はあなたをイスラエルの王としてお選びになりました。神様の霊が注がれてあなたは新しい人に変えられます。神様があなたとともにいて下さり、あなたは王様として民を導くことができるようになるのです。」その後、サムエルはイスラエルの民を集めて言いました。「あなたがたは、神様を忘れ、王様を立てて欲しいと願いました。今、神様が王様を選んでくださいます。」
この段階で、神とサウルとの間では、王として立てられる手続きが済んだと言えますが、民全体が納得して受け入れるためには別途手順が必要でした。サムエルはミツパに民を集め、くじを引かせ、選ばれたサウルを神が王として立てて下さったと宣言しました。これは決して偶然ではなく、神の深いご計画(摂理)の中で起こったことでした。さらに「王権の定め」について改めて語り、文書として残しました。こうしてイスラエルは士師の時代を終えて王制に移行し、王国時代が数百年続くことになります。
聖書箇所:ルカの福音書 19章1節~10節
暗唱聖句;「人の子は失われた者を捜して救うために来たのです」ルカの福音書 19章10節
今日はザアカイさんがイエス様に出会うお話です。
ある日、ザアカイさんの住んでいるエリコの町に、イエス様がやってくるというニュースが伝わってきました。
重たい皮膚病の人たちを治したり、30年以上も歩けなかった人が立って歩けるようになったり、目の見えなかった人の目を見えるようにしたり、悪魔に取り付かれている人から悪魔を追い出したり、死んだラザロをよみがえらせたり、イエス様は病気の人や悩んでいる人たちを助けていましたから、そのうわさが伝わってイエス様はもうすっかり有名人になっていました。病気も治せてどんなことでもできるイエス様が来ると聞いて、エリコの町のみんなは家の外に出て、イエス様が町に入ってくるのを今か今かと大勢の人たちが待っていました。
大勢の人たちの中にザアカイさんもいました。ザアカイさんもみんなと一緒に町の通りの一番前に並んでイエス様を見たいのですが、みんなから嫌われていたので、みんなはザアカイさんのための場所を空けてはくれませんでした。ザアカイさんは背が低かったので一番前に来ないと見えないのにだれも場所を空けてくれないのです。取税人のかしらのザアカイさんは、町のみんなから税金だけではなくてたくさんのお金をとっていたので、ザアカイさんはお金持ちでしたがみんなから嫌われていたのです。
誰も自分のために場所を空けてくれないけれど、何とかしてひと目イエス様をどうしても見たいと思って、ザアカイさんがイチジクの木によじ登ったところ、歩いているイエス様を見ることができました。あの方が病気を治したり何でも願いをかなえてくれるイエス様という人なのだ、と、木の上からイエス様を見ていると、突然イエス様から名前を呼ばれてびっくりしてしまいました。
「ザアカイ。降りてきなさい。今日はあなたのうちに泊まることにしていますよ」
イエス様はどうして私の名前を知っておられるのだろう。ザアカイは町のみんなから嫌われていて、誰にも声をかけてもらえなかったので、イエス様から名前をよばれて本当にうれしかったと思います。
いそいで木から下りたザアカイはイエス様を自分のうちへお連れしてイエス様に召し上がってもらいたいとたくさんのごちそうの用意をしました。イエス様と共に食事をして、ザアカイはイエス様に言いました。
「主よ、ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また誰からでも、私が騙し取った物は4倍にして返します」
ザアカイは病気ではありませんでした。重たい皮膚病でもなく、歩けるし、目も見えるし、悪魔にも取り付かれてはいませんでした。健康な人でした。しかしザアカイの心の中は孤独でした。
そうです。イエス様が治してくださるのは病気だけではありません。イエス様はザアカイの心の状態を治してくださいました。
孤独な気持ち、欲張りな気持ち、自分だけがいい思いをすればそれでいいという自己中心の気持ちからザアカイを救い出してくださいました。イエス様と出会ったザアカイは、その後、イエス様が救ってくださった喜びを、周りの人たくさんの人たちに伝えていったと思います。
私にもイエス様は出会ってくださいました。
ここからは少し、私のイエス様との出会いをお話したいと思います。
イエス様のほうから私に会いに来てくれました。
イエス様が一番最初に私に語ってくださった言葉は「人を赦せない気持ちを抱えているのはとっても苦しいことだよ。人を赦せる心にきみの心を変えてあげよう」でした。
私は自分の親が大嫌いでした。子供の頃からずっと、こんな親にはなるものかと思って生きていました。そして大人になってからも自分のお母さんのような母親にはなりたくないと思っていました。私のお母さんはとってもヒステリーで機嫌が悪いとすぐにたたいたり、物を投げたり、泣きわめいたりしたから、私は子供の時とってもお母さんが怖かったからです。
お母さんは食事の時もいつも怒ったりいらいらしているので、私は子供の時、家族で楽しくご飯を食べた事がありません。
自分の母親とは正反対のやさしいお母さんになりたかった私ですが、私はまだ小さい自分の子供を平気でたたいてしまうのです。たたいているときは、自分のやっている事が分からなくなってしまうのでした。後になって、後悔して、もう絶対に叩いたりしない、と誓うのですが、次の日になるとまた叩いてしまうのです。
そんな時、松木さんが教会に誘ってくれました。
教会で聖書のお話を聞いているうちに、私の心の中には自分の親を赦せない気持ちがある事に気が付きました。赦せない気持ちを持ち続けているのはとっても苦しいんです。
人を赦すという事をイエス様は教えてくださいました。
だから私は自分の親を赦そうと決心しました。ヒステリーのお母さんの心に平安がありますように、と祈っていこうと決心しました。
母を赦す決心をしたら、次第に私は自分の子供を叩かなくなっていました。
私のお母さんが優しいお母さんだったら、イエス様に出会えていなかったかもしれません。イエス様に出会うために、人を赦す気持ちを私に教えてくださるためにイエス様は私にこのような母親をお与えになったのです。
イエス様は私に出会ってくださいました。
この喜びはお金で買えるものではありません。人からもらえるものでもありません。自分の努力で手に入るものでもありません。
海の中でおぼれかかって、あっぷ、あっぷして今にも海の中に沈んでしまいそうになっている私をイエス様が海の中から引き上げて、私の命を救ってくれたのです。私にとって、イエス様の救いとはそんなイメージです。
この救われたこの喜びを、昔の私みたいに赦せない気持ちを抱えている人たちに伝えていきたいです。
赦せない気持ちを抱えて生きている人、それは例えば6歳年下の私の妹、純子です。保育園にお迎えに行くといつも門の近くにある大きな木によじ登っていました。ザアカイさんみたいに大きな木によじ登って、私の妹は高いところから誰を探していたのだと思いますか?
みんな他の子たちはおうちの人がお迎えにきてくれて帰ってしまって、妹はいつも一番最後まで保育園に残っていました。木によじ登って、早くお迎えにきてくれないかな、と高い木の上から私や祖母、母の姿を探していたのです。
ある時、妹はこんな話を私にしてくれました。
「お姉ちゃん、中学生の時、私はいつもお腹をすかせていたの。学校から帰って来ると家には誰もいなくて、台所にコロッケが一つだけしかなくて。その一つのコロッケが私の夕飯だったの。友達の家に行ったとき、おかずがたくさんあって、本当にお腹いっぱい食べたの。いま、自分があのときのお母さんと同じくらいの年になって、自分の子供が中学生になって、お母さんに自分がされた事を思い出すと腹がたってしかたがないのよね。」
妹が中学生の時、私はもう親元を離れていたので、お腹をすかせて家にひとりぼっちの妹を私は知りませんでした。いまでもまだ母を赦せないという妹に、私は何とかして神様の愛を伝えていきたいです。
イエス様に出会うと、イエス様が自分に出会ってくださった事がとてもうれしくてみんなに自分の喜びを伝えたい気持ちになります。ただその時に自分の犯してきたたくさんの罪もみんなに話すことになるので、イエス様との出会いを話すのは勇気が必要です。私も今日はこんなみっともない自分の罪をみんなに話して、私、嫌われてしまうのではないかと不安な気持ちになりましたが、思い切って話す勇気を神様が与えてくださいました。感謝します。